''Assaggiamo le specialita’ della Sardegna''サルデーニャの美味しいものを味わいましょう!
8月30日吉祥寺にて開催。 計24名の方にご参加頂きました事を感謝いたします。 サルデーニャは世界的にも注目を浴びておりますが、東京でもこんなに人気だったとは驚きと同時に、嬉しい限りです。今回人数制限の為ご参加頂けなかった方の為にも 第2段をまた違った形式で開催できたらと考えております。
8月30日吉祥寺にて開催。 計24名の方にご参加頂きました事を感謝いたします。 サルデーニャは世界的にも注目を浴びておりますが、東京でもこんなに人気だったとは驚きと同時に、嬉しい限りです。今回人数制限の為ご参加頂けなかった方の為にも 第2段をまた違った形式で開催できたらと考えております。
今回ご協力頂きました皆様にもお礼を申し上げます。
RISTORANTE G http://www.ristoranteg.com/チーズ工場:FERRUCCIO PODDA(CAGLIALI)フェルッチョ ポッダ(カリアリ)ポッダのチーズ輸入業者(株)クオレ・サルド(イタリア食材輸入)
RISTORANTE G http://www.ristoranteg.com/チーズ工場:FERRUCCIO PODDA(CAGLIALI)フェルッチョ ポッダ(カリアリ)ポッダのチーズ輸入業者(株)クオレ・サルド(イタリア食材輸入)
サルデーニャの特産物に関する講座はなかなか面白いものでした。今回は渋谷の『レストランG』よりシェフの’’マルチェッロ メレウ氏’’を特別ゲストでお呼びし、サルデーニャ島の歴史を起源から現代までざっと振り返りながら、特産物について、食べ方などご指導頂きました。皆さんにご賞味頂いたのは、ペコリーノサルドを始めとする6種類のチーズ(熟成期間の違いなど)や、からすみ、パーネカラサウ(薄いカリカリのパン)、
そしてパスタは’サフラン風味のボンゴレソースのフレーグラle fregula con vongole e zafferano’。シェフが腕を振るって作ったパスタの美味しさには参加者の方も感心しておりました。パスタFregulaはアラブのクスクスに似ています。 更に、サルデーニャの白ワイン 'ラ カーラ2007'はフルーツの香り豊かで、後味はすっきりしたのみ心地で夏向きのワインでした。 食後酒はこれもサルデーニャ特産のミルト酒。ミルト(銀梅花)は愛の女神アフロディーテの樹とされ、結婚式のブーケに用いられていたという。このブルーベリーに似た実から作ったお酒で、甘い いい香りがします。
歴史の流れは先史時代⇒ヌラーゲ時代⇒フェニキア時代⇒カルタゴ時代⇒古代ローマ時代⇒ヴァンダル・ビザンチン時代⇒ジュディカート時代⇒スペイン植民地時代⇒オーストリア・サヴォイア家時代⇒近・現代へ。【旧石器時代(il Paleolitico)】サルデーニャにおける人類の出現は紀元前50万~10万年といわれる。【新石器時代(il Neolitico)】紀元前6,000年~2,700年において洞窟や岩下に住居や墓の跡が見られる。 人々は羊飼い、狩りで必要な道具を黒曜石で作っていた。この時代に、小麦の栽培が始まる。崇拝する女神の彫像は簡単なものであったが、陶器の装飾は貝の端 を用いて焼く前に丁寧に施されている。
【オツィエリ文化(Ozieri)】(紀元前3,500年~2,700年)サルデーニャの文化の始まりで人々は村に住み、牧畜を営み、細かく装飾された壷を制作していた。また、巨大墓碑(Menhir,Dolmen)や地下墓碑(Domus de janas)などもこの時代である。
【ヌラーゲ(i Nuraghi)】紀元前1500年頃から人々の集落はヌラーゲのふもとに形成される。ヌラーゲとは、円錐形の先端部分を切断した形で、領土を見渡せるように高台に造られた建造物。
1. 話題のサルデーニャ
四国とほぼ同じ大きさで、人口は160万人。羊の数の方が多いと言われています。人口の3分の1がカリアリに集中しています。
【州都:CAGLIALIカリアリ】
‘Tenditur in longum Caralis’’ 1500年前にラテンの詩人Claudiano(クラウディアーノ)によってカリアリの街について詠われた。詩はSant’Elisa から、サルデーニャの南部にあるAngeli湾の中心SantaGillaまで、湾に沿ってこの街がどのように発展したかを伝えている。新石器時代からずっと何千年も続く歴史においてフェニキア人、カルタゴニア人、ローマ人、ヴァンダル人、ビザンティン人、ピサ人、アラゴン人、スペイン人、ピエモンテ人によって占領されてきた。その足跡は記念碑や伝統の中に見られる。
例えば、ローマ人が残したl’Anfiteatro(古代ローマ円形劇場)。ピサ人は丘上に城を孤立させるアイデアをもたらした。高い城壁やELEFANTE象の塔、SAN PANCRAZIOサンパンクラツィオ塔などの建設も含まれる。
1862年にカリアリは要塞都市を止め、要塞の一部が取り壊され、近代的都市への発展を始めた。
【高級リゾート化が進む地区:Costa Smeraldaエメラルド海岸】
(NewYorkTimsより)映画会、ファッション業界、政界から多数の著名人が世界中からも来るようになり、注目を浴びています。実は開発したのは、イスラム教徒の上流階級者Prince Karim Aga KhanⅣで1960年初期にこの海岸一帯を買占め、著名な建築家などを投入し、高級リゾートに創り上げた。
四国とほぼ同じ大きさで、人口は160万人。羊の数の方が多いと言われています。人口の3分の1がカリアリに集中しています。
【州都:CAGLIALIカリアリ】
‘Tenditur in longum Caralis’’ 1500年前にラテンの詩人Claudiano(クラウディアーノ)によってカリアリの街について詠われた。詩はSant’Elisa から、サルデーニャの南部にあるAngeli湾の中心SantaGillaまで、湾に沿ってこの街がどのように発展したかを伝えている。新石器時代からずっと何千年も続く歴史においてフェニキア人、カルタゴニア人、ローマ人、ヴァンダル人、ビザンティン人、ピサ人、アラゴン人、スペイン人、ピエモンテ人によって占領されてきた。その足跡は記念碑や伝統の中に見られる。
例えば、ローマ人が残したl’Anfiteatro(古代ローマ円形劇場)。ピサ人は丘上に城を孤立させるアイデアをもたらした。高い城壁やELEFANTE象の塔、SAN PANCRAZIOサンパンクラツィオ塔などの建設も含まれる。
1862年にカリアリは要塞都市を止め、要塞の一部が取り壊され、近代的都市への発展を始めた。
【高級リゾート化が進む地区:Costa Smeraldaエメラルド海岸】
(NewYorkTimsより)映画会、ファッション業界、政界から多数の著名人が世界中からも来るようになり、注目を浴びています。実は開発したのは、イスラム教徒の上流階級者Prince Karim Aga KhanⅣで1960年初期にこの海岸一帯を買占め、著名な建築家などを投入し、高級リゾートに創り上げた。